世界へとびだせ.COM インタビュー
アメリカでがんばる編
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学生時代から海外に目を向け、高校の時訪れたインドネシアをきっかけに東南アジアをバックパッカーで周る。インドネシア語を学び、日本とインドネシアを行き来する旅行会社の営業ウーマンとしてキャリアを積む。渡米後は、カリフォルニア州シリコンバレーにある日系旅行会社の営業マネージャーとして活躍。家に帰れば、サッカー大好き!のダンナ様マーティンさんと1歳になる健太君のために料理の腕をふるう、元気なママです。
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今回は、カリフォルニア州シリコンバレーで、営業マネージャーとして活躍されているKintetsu International
Travel 社の竹原直美さんにお話をうかがいます。竹原さん、よろしくお願いします。
まず、最初に海外に興味を持ったのはいつ頃ですか?
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※インタヴュアー⇒わたなべ美紀 世界へとびだせ.COM サンフランシスコ事務局代表
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高校生の時です。国際協力機構(JICA)ってご存知ですか?
あそこに参加するのが夢だったの。 |
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国際協力機構(JICA)に入って、
海外の恵まれない人々の援助活動をしようと? |
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ええ。でも、看護資格とかの特殊技能を持っていないと、JICAに入るのは難しくて…。そんな時、中学時代から親友…実は彼女はインドネシア国籍だったんですが、「一緒にインドネシアに遊びに来ない?」と誘われて、夏休みに出かけたんです。
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はい。すごいカルチャーショックでした!現地のひとたちの考え方や生き方に触れたら、日本人がものすごく「物質主義」に思えてきました。自分がそれまで大切だと考えてきたモノが、果たして人生にとってほんとに大事だったのかしら?という疑問を持ちはじめて…。
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それから、海外にハマっちゃった(笑) |
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それからは、毎朝登校前にお弁当屋さんでバイト。夜は夜でピザ屋でバイト。このピザ・ショップは六本木にあってお客も従業員も殆ど外人ばかりだったから、英会話の練習もできて一石二鳥でしたね。そうやってお金を貯めては、長い休みの度にバックパックを背負って東南アジアを中心に海外を旅するようになりました。
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希望の大学を残念ながら滑っちゃって…。アジア・アフリカ学院でインドネシア語と英語を学びました。この学校、かなりマイナーな言語も教えてるせいか、生徒がやたらユニークでね。楽しかったな。卒業後、インドネシア語を生かして昼は外務省外郭団体の国際交流サービス協会で働きながら、夜は上智大学のインドネシア語学科に通いました。
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高校時代から、勉強の両立をずっと続けてきているのですね。タフですねぇ…。
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20歳を目前にビジネスの中心地アメリカを一度は見てみたいと、またまたバックパック背負ってグレイハウンドのバスをり継いで、西海岸とNew
Yorkをヶ月ほど歩きました。でも、その後就職がバリ島にある旅行会社に決まったので、それから7年間、東京とインドネシアを往復する営業マンとして文字どおりバリバリ(インドネシア、バリ島)やってました(笑) 27歳の時に大恋愛した相手がアメリカ人だったの。で、結婚してこっちへきて、3ヶ月で専業主婦生活に飽きちゃった(笑)
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難しかった。日本での学歴も肩書きもアメリカでは通用しないし、結局見つかったのはお寿司屋のウェイトレスのバイトだけ。時給は8ドル50セントぽっち。車の運転も出来なかったから、バスで毎日通いました。
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勿体ないですね。バリバリの営業マンとして活躍されてこられたのに。 |
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抵抗ありましたよ、そりゃあ。今までの人生で一番しんどい時期だったかも。でもね、ひとつのドアを開けないと次の扉は開かないから。
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そんな頃、たまたまご近所に人材派遣会社のひとがいて、いろいろ相談に乗ってくれたの。彼女のアドバイスに従って、まずは車の免許をとり、職業訓練学校でマイクロソフト・オフィスとか経理事務とかのクラスを9ヶ月間受講しました。
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市とか、カウンティ(郡)が提供してる職業訓練校のことですか? |
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そうです。
とにかく就職に直結できる技術資格を取らなくちゃと思って。 |
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…した先が、トンでもないところだった(笑)ベンチャーキャピタル会社の秘書として雇われたんですが、仕事がキツいのなんの…。ボスが難しい人で有名でとても私には手に負えず、連日泣きが入ってました。お陰で勉強にはなったけど。当時は私自身、、アメリカ人と日本人の働き方の違いがよく解ってなかったから、今にして思えば、イエスマンだから使われ放題になっちゃったわけね。
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アメリカ人は、出来ない仕事や自分の管轄外だと思ったら、「出来ない」「やらない」ときっぱり言ってのけますよね。一方日本人だと、「なんとか頑張ってみますけど…」と無理して請け負っちゃう。
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日本人にとって、面と向かって"NO"と言い切るのは案外難しいんですよね。当時シリコンバレーのバブルが弾けて景気も下降気味だったこともあって、経験を生かした日系大手旅行会社の営業部員に返り咲いて、3年そこで働きました。
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日本とは違って、アメリカでは転職をきっかけにキャリアアップしていく…というひとつの方法が成り立ってますよね。旅行業界のようにある程度限られたマーケットだと、営業を3,4年もやっている間に何か自分の中に澱みができて来るっていうのかな.…。30代のうちに自分がどこまでやれるのかチャレンジしてみたいって気持ちもありました。
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アメリカで仕事をしていて良かったと思うことはどんなことですか? |
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とにかく実力主義だから、年齢とか性別とかで差別されたり制約を受けることがないでしょう。やる気さえあれば誰もが、思いついたアイデアを生かしたり形にしていくチャンスが与えられるところ。
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逆に言えば、チャンスの分だけリスクは自己負担しなければならないという面もあるのではないでしょうか?
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いい加減なことをすると、きっちり自分に返ってくる。だから、ひとつひとつ仕事を誠実に地道にこなすこと。これに尽きます。
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アメリカ人と一緒に仕事をするうえで、特に心がけていることはありますか? |
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たとえ同僚だろうと、相手を尊重する姿勢を示さないと義務だけで協力してはくれません。だから、ひとに仕事を頼む時の言葉遣いなんかもすごく気を遣います。でも、とにかく仕事する姿を見せて、結果を出せば必ず理解してもらえる。月並みだけど、一番大切なのはやはり信頼。
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なるほど。そんな働き者の竹原さんの、ストレス解消法は? |
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週に3日は朝7時からプールで泳いだあと、出社します。肩凝りもとれてすっきり。それと、料理かな?近所に美味い居酒屋さんがないでしょ。だから友達も呼んでセルフ居酒屋開くの(笑)
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私生活も充実していますね。海外で働いてみて、自分が変わったと思うことは? |
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ひとを肩書きとか年齢にとらわれず、中身で見れるようになったと思う。社長さんでも掃除夫のバイトでも対等に相手をファーストネームで呼び合う、アメリカのそういうところが好き。変わって困っちゃったなぁと思ってるのは…こっちじゃ太っても太ってもいくらでも大きなサイズの服があるじゃない。この危機感の無さはヤバいわよね〜
(笑) |
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では最後に、世界へとびだせ.COMの会員の皆さんにひと言お願いします。
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アメリカは、まんまで生きててOKな国だと思います。オタクだからって偏見で見られることはないし、人と違う事が、当たり前。個人の生き方が尊重されている国。こんな懐の広い国で一度思いっきり仕事をやってみるのも楽しいですよ。私も歓迎します!
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よし!みんな、竹原さんに続きましょう! 竹原さん、ご協力ありがとうございました。 (完) |
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※本インタビューは、2005年に取材されたものです。
ご本人の了解を得て、Global Persons http://www.globalpersons.net の
掲載インタ ビューと重複掲載させていただいています。
インタビュアー:若井美紀
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